自力本願(仮)

気が向いたら書く

【追悼】とまれ隣に永遠に【KANさん】

KANさんが虹の橋…いやトリコロールカラー*1の橋を渡ってしまった。

 

 

がん公表時はいつもの調子だったし、ツアーは中止になったものの

ラジオレギュラーは継続していたので、楽観的に捉えていた。

 

同郷*2の先輩であるA氏が「ステージ4」だとお漏らししていたが

どうせいつもの陰謀論だろうと思って見なかったことにした。

 

磯貝サイモンさんにCP-80*3を譲ったり

「思うところあって」フランスに旅立ったり

終活的な匂いを感じてたけど、心の何処かで否定してた。

 

月イチに減った「ボンソワ」*4ですら後輩のハロプロの子に代打を頼み

SNSの更新が止まったことに気づいたあたりから心がざわざわしてた。

 

11月17日。

いつものように仕事しながらJ-WAVEを聴いていたら突然の「愛は勝つ

イントロのピアノのD音でビクーッとなった。

こんなにびくびくしながら聴いた愛勝つは初めてだ。

 

曲の終盤でパーソナリティの稲葉くん*5が読み上げる。

「1990年の『愛は勝つ』の大ヒットでおなじみのKANさんがー」

 

意外なことに涙は出なかった。

仕事が捗らないが、それでも今日中に片付けなくてはいけない仕事がある。

逆に仕事の日でよかったのかもしれない。

 

 

 

今の“推し”はミスチルとホルモンだが

そもそも音楽を聴きはじめるきっかけとなったのがKANさん。

人生最初の“推し”と言える存在だったと思う。

 

愛は勝つ」という楽曲の存在を知ったのは802でも「やまかつ*6でもなかった。

 

当時母がバラエティ嫌いだったため

やまかつ」をはじめとするバラエティ番組は一切観せてもらえなかったこともあり*7

芸能に疎かった私がクラスのNさんに

「『愛は勝つ』知らんの?」

と言われ、初めてその曲の存在を知った。

 

その後、修学旅行の歌練で初めて曲を聴き、

番組を知らないのに「チキンカツ」*8の続きまで作ったりした。

 

KANさんはその年のレコ大を受賞し、紅白にも出場した。

そこで初めてKANさんの歌う姿を見て

男の人なのにピアノ弾きながら歌ってるのがかっこいい!

と思った。(沼入りフラグ)

 

沼入りの決定打はJFN系列でやっていたラジオ番組「KANの45RPM」

たまたまラテ欄でその文字を見つけ、もしかしてあの人の番組では?

と思ってカセットで録音して聴いたらビンゴ!

しかもその回がたまたま星飛雄馬になりきって放送するという神回だった。

 

ちなみに、その回はプレイリストも最高に良かった。

・こっぱみじかい恋(KAN)

・Footloose(Kenny Loggins)

笑顔の行方Dreams Come True

・Friends or Lovers(PSY・S

・Longer(Dan Fogelberg)

PIANO MANBilly Joel

・GIRL TO LOVE(KAN)

 

その後入学祝いとしてラジカセを買ってもらい、音楽にドハマリすることになる。

晩ご飯そっちのけでラジオにかじりついている日もあった。

 

アニソン*9とか漫画のイメージ・アルバム*10しか聴いてなかった私が

初めて買ったアーティストのCD*11がKANさんだった。

 

ちょうどその年にレオマワールドでKANさんとKATSUMIの

今でいうツーマンライブ的なイベントがあったのだが*12

当時離島住みの中学生だった私にはチケットの取り方もわからず

そもそもそんなお金もないので行けず涙を呑んだ。

 

アルバムでいうと「TOKYOMAN」「弱い男の固い意思」「東雲」の頃は

ガッツリリアタイでKANさんを追いかけていた。

周りがB'zやX JAPAN*13に熱狂する中

私は一人でKANさんを推していた。

aikoの周りにいたような「KANちゃん仲間」は島にはいなかったし。*14

 

しかし、この頃のKANさんは性をテーマにした曲*15を出したり

突然坊主にしたり、踊る30代と称してダンスしてみたり

ラジオにC.C.ガールズを呼んだり*16

傍から見れば迷走と思われかねないことばかりしていたこともあり

「いい曲書けるのになんでイロモノと誤解されるようなことするの?」と思っていた。

当時はピュアなJCだったのでKANワールドを理解しきれてなかったのである。*17

 

高校生になり、映画【es】のチケット当選きっかけでミスチル沼へ。

KANさんも変わらず推していたが、高校生のお小遣いには限りがある。

「MAN」を最後にKANさんの推し活から“降りた”。

 

風の噂でフランスに移住したらしいとかそんな話をチラホラ聞いていたので

このまま引退するのかと思っていた。

 

パイスチュ*18の頃はミスチルからも半ば離れていたので

あーそんなことやってるのねという感じだった。

 

2010年あたりから新しいアルバムを再び聴くようになった。

「カンチガイもハナハダしい私の人生」「6×9=53」「23歳」

はリアタイで聴いている。相変わらずのクオリティの高さ。

KANさんは“ゆるく推す”感じになった。

「TIGERSONGWRITER」から「遥かなるまわり道の向こうで」

までのアルバムも後追いで聴いた。

 

KANさんを初めて生で観たのはap bank fes'11

当時の私はチャリティーに懐疑的だったため、apには参戦していなかったが

震災はさすがにショックで、無力感があったけど何か力になりたい

ライブが寄付になるのなら一石二鳥だと思ってKANさんの出る日に参戦を決めた。

KANさんの普段着*19は学ランだったw

歌ったのは「すべての悲しみにさよならするために」と「愛勝つ」だったかな

 

それ以降はなかなかタイミングが合わず

初めてワンマンでKANさんを観れたのは25歳ツアーの初日。

別件のチケット一般発売で撃沈し、意気消沈クワンタチンクエしていたところに

SNSで当日券アルヨという情報が流れてきたので急遽参戦したところ

これがとんでもなく音楽的なエンタテインメントショーだった。

 

まさかこれが最後になるとは思わなかった。

もっと観ておけばよかった。

 

 

 

同業者からファンから音楽オタクまで

いろんな人がKANさんの好きな曲や思い出話を語ってくれてるけど

出てくるエピソードがいちいち笑いを誘うものばかりで

曲で出てきそうになった涙がおもしろエピで引っ込む始末。

 

涙が乾く以前の問題で、泣く暇すら与えてくれそうにない。

泣き笑いのエピソード*20状態。

 

葬儀までライブと同じ調子でセルフプロデュースする人なんて聞いたことないよ!

遺影が夏目漱石*21ってどういうことやねん!

葬式でふりそでーしょん*22とか前代未聞やろ!

 

 

 

貴方は最高のSSWであると同時に、最高のエンターテイナーでした。

ご冥福をお祈りしつつ、これからもゆるく推していきます。

 

では、股。*23

 

*1:フランス国旗

*2:福岡市

*3:YAHAMA製のエレクトリックピアノ。ap23ではついに小林武史氏も使わなくなった

*4:ロックボンソワSTVラジオのレギュラー番組

*5:稲葉友藤田ニコルの旦那さん

*6:やまだかつてないテレビ

*7:やまかつ」はファンになってから最終回だけは観ることができた

*8:番組内で作られた「愛は勝つ」の替え歌。ファンの間で物議を醸したらしい

*9:おどるポンポコリンとかジブリのアルバムを買った記憶がある

*10:ハンサムな彼女。権利上の問題でNGとなったため「言えずのI LOVE YOU」のカバーVer.が収録されている。売れる前からKANさんに目をつけていた作者、早耳すぎる

*11:めずらしい人生

*12:後で調べたら「先生、おら先生みたいな先生になる」ツアーでも高松来てたし!

*13:当時は好きじゃなかった。見た目もYOSHIKIの書く歌詞も怖かった。HIDE曲は明るくて好きだったけど

*14:当時はインターネットもなかったので、他のファンと知り合う機会は皆無

*15:丸いお尻が許せない

*16:ギ◯ギリガールズじゃなくてよかった

*17:後に“そういう人”だということがわかってからはそういったところもふっくるめて楽しめるようになった

*18:パイロットとスチュワーデスミスチル桜井さんが機長でKANさんがチーフパーサーという設定のユニット

*19:≠衣装

*20:これは秦くんの曲

*21:正確には夏目漱石風のアーティスト写真。大川直人氏撮影

*22:きゃりーちゃんが好きすぎて?還暦記念で振り袖を着用。近所の写真館で撮影

*23:KANさんのラジオの締めは「ほなサイババ」ですが、ここはブログなのでこちらで